『勝利の日』日本語訳詞 公募コンクール開催について

大祖国戦争の勝利75周年を記念して、ロシア連邦文化科学協力庁駐日代表部では、ロシア人に広く愛される歌『勝利の日』の新しい日本語訳詞について公募コンクールを実施いたします。 『勝利の日』は、作曲ダヴィド・トゥフマーノフ、作詞ウラジーミル・ハリトノフ。I・コブゾン、M・マガマエフ、Y・バガチコフ、Y・グリャエフ、E・ピエハなど国民的歌手によって歌い継がれ、愛唱歌として広く定着しています。

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今回の公募コンクールの審査委員長は、二期会ロシア歌曲研究会主宰・岸本力氏。審査委員は、ウラジーミル・ハリトノフさんのご子息で詩人、作曲家でもあるワシリー・ハリトノフ氏、NHK解説委員の石川一洋氏、一般社団法人欧亜創生会議理事長の安本浩祥氏、日本ユーラシア協会理事長の堀江則雄氏、およびロシア連邦文化科学協力庁駐日代表のイーゴリ・チトフとなっています。

応募作品は審査委員による厳正なる選考を経た上で、最優秀者にはロシア連邦文化科学協力庁から記念品が贈呈されるほか、岸本力氏による歌唱が当庁FBおよび当庁公式HPに公開されます。

公募受付は6月22日まで。ご自身の考える新しい訳詞を japan@rs.gov.ru まで電子メールでお送りください。ロシア語の知識のある方でも、ない方でも、応募することができます。原文の意味の深みが伝えられているか、また音楽性に優れているか、などの点から審査を行います。

 

『勝利の日』の歴史について

(ワシリー・ハリトノフ氏から参加者へのメッセージ)

歌が書かれたのは1975年のことです。当時、全ソ戦争歌曲作曲家コンクールが行われていました。歌詞はすでにコンクールの前に出来上がっていましたが、D・トゥフマーノフがそれに曲をつけるということで、それが完成したのはもうコンクールも終わりかけの時でした。審査委員の前に最初に完成した歌を歌ったのはトゥフマーノフの奥様で歌手のタチヤーナ・サシコで、それはレコードにも録音されました。当時の審査員の反応はひどいもので、すでに有名だったトゥフマーノフに対する大御所作曲家連中のひがみもあったとは思いますが、軽々しいとか何とかいろいろと批判されました。ですからその後も長くこの歌は日の目を見ることがありませんでした。

転機となったのが、レフ・レシェノがこの歌詞の独自性や音楽のエネルギーに注目して、ツアーの最中に歌うようになったことです。彼はそこで観客の反応を見たわけです。

1975年11月、民警記念日のコンサートがありました。当時このコンサートは全国に生放送される唯一のもので、非常に影響力がありました。視聴率も高かったですから、ここで放送されれば、もうヒットは間違いなし、というような番組だったのです。出演を予定していたレシェノは、当時の内務省次官であったY・チュルバノフに『勝利の日』を演目に追加したいと相談しました。リハーサルでこの歌を聞いたチュルバノフは、「青信号」を出しました。彼が作曲家連盟の意見に興味がなかったことが幸いしたわけです。

演出もより力を入れたものとなり、この瞬間から、『勝利の日』は戦勝記念日の定番となりました。

ロシアだけでなく海外でも何百万人という人々によって愛されているこの歌が、日本でも広がり、愛されるようになればうれしいです。

 

皆さんからの訳詞をお待ちしております!

 

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〔原文および参考用日本語訳〕

 

День Победы, как он был от нас далек,

勝利の日、その道はなんと遠かったことだろう、

Как в костре потухшем таял уголек.

消えた焚火に隠れてしまった炭のかけらのように。

Были версты, обгорелые в пыли, -

焼けて灰燼と化した道のりのなかを、

Этот день мы приближали, как могли.

我々は力の限り、その日を手繰りよせてきた。

 

Припев:(繰り返し)

Этот День Победы -

その勝利の日から、

Порохом пропах.

火薬の匂いは消えない。

Это праздник

これはお祝いの日

С сединою на висках.

こめかみに白髪をいだいていても。

Это радость

これは喜びの日

Со слезами на глазах.

目に涙を浮かべていても。

День Победы! День Победы! День Победы!

勝利の日!勝利の日!勝利の日!

 

Дни и ночи у мартеновских печей

昼も夜も製鉄炉のそばで

Не смыкала наша Родина очей.

わが祖国はひと時も休まなかった。

Дни и ночи битву трудную вели -

昼も夜も激戦を戦い抜き、

Этот день мы приближали, как могли.

我々は力の限り、その日を手繰りよせてきた。

 

Здравствуй, мама, возвратились мы не все…

ただいま、母さん、だけど皆が無事ではないのです、

Босиком бы пробежаться по росе!

いまごろ彼らも露の上を裸足で駆けていただろうに。

Пол-Европы прошагали, полземли -

欧州の半分を、地球の半分を踏破してきたのです、

Этот день мы приближали как могли.

そして、力の限りこの日を手繰りよせてきたのです。

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https://www.youtube.com/watch?v=tutd8TkLAGc

https://www.youtube.com/watch?v=avLOes3Yg90

 

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V. ハリトノフ はセヴァストポリ市で、1958
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V. ハリトノフ  息子と一緒に
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70周年記念日のコンサート